monkeyのブログ

ゴミ箱

ジョーカー(2019) 感想

ツイッターで話題になってたからなんとなく見に行ったジョーカー、内容忘れないうちに感想を書いておこうと思い立ちゴミみたいな文章を書くのに最適なこのブログのことを思い出した。

ちなみにバットマンシリーズは全く見たことがなかった、見終わった後にアマプラでダークナイト2作品とスーサイドスクワッドは見たがまあまあ面白かった

 

 

大雑把なストーリーとしては『障害を持った大道芸人の主人公が社会情勢の悪さ、政治の腐敗、様々な不幸等が重なった結果心が壊れてしまい社会に対し復讐を始める』といったような内容。

 

まず全体的な所感として、ジョーカーがいかにしてジョーカーになったかを描いた作品として非常に話が丁寧に作られていて、基本的に話が順序立てて進められていくため俺みたいなバカでも理解できるくらいには分かりやすい映画だった。この映画のみで完結するジョーカーのオリジンストーリーとしてみるととても良くできた映画だと思う、ロクに映画見たことないけどそんな気がする。

ただジョーカーになるまでを丁寧にしたために基本ヒューマンドラマのような形になっており、他のヒーロー作品みたいなドンパチを期待して見に行った人には退屈な映画に思えたかもなあと思ったりした。そういった点からこの映画はわりと「理屈っぽいオタク」をターゲットにしている気がする。

 

 

最もこの映画がオタクをターゲットにしているなと思った点は、丁寧に描かれることによる分かりやすさに隠された分かりやすいようで非常に分かりにくいフェイクの部分である。

 

 

まず隣人の女と恋仲になったと思い込んでいるというフェイク、最初にキスしながら部屋に押し入った後に恋仲になってるのを見た時は全員が主人公の妄想だと思ったことだろうと思う。しかしその後しばらく隣人の女が恋仲のまま話が進んでいくため(あれこれ妄想じゃないのか?)と思わせられる、結局妄想なんだけど。

 

次に主人公が本当は母親と市長候補?の男の間の子供だというフェイク、物語中盤で実は主人公はあいつの子供だったのかー!からの市長の対応でああこの市長は悪いやつなんだなと思わせておいて本当に母親がただの統失で市長の言ってることが正しかったという流れはあまりにも悲しい、すっかり騙されてしまったけど俺だけじゃないよね?

これに関しては主人公が舞台に上がる前の廊下で流れていたラジオの内容「女のSEXは車の購入みたいなものだ、長持ちするか?安全か?スピードはどのくらいか?それに対して男のSEXは車庫入れのようなものだ、入れられればなんでもいい、いくらかかる?\ドッ/」みたいなしょうもないジョークもミスリードさせるための伏線になっているんだなあと見終わった後に気づいた、いやほんとにその狙いがあったかは知らんが。

 

次にTV番組に呼ばれるシーン、これ自体はフェイクではないがそれまでの上にあげたようなフェイクにより家に電話が来てTV番組に呼ばれたこれもフェイクなんじゃないか?そもそも注目されるに至った舞台に上がったシーンも実はフェイクなのでは?と視聴者に思わせておいて実際に呼ばれているという視聴者を騙す構図に加え、TV番組側の意図は笑い者にするためだったという二重のフェイクになっている。

 

 

これらの例から分かるように、この物語は順序立てて話が進められている裏で一貫して話が虚構まみれで不透明に描かれているため、分かりやすいストーリーであるにも関わらずどこか腑に落ちないように作られている。

物語の終盤で立て続けにこれもフェイクだったあれもフェイクだったとなり主人公の精神が壊れてしまったという流れになるため違和感なく話を受け入れることができるが、よく考えるとあれじゃあ今までの話結局どういうことだったんだ?となる。

 

 

そしてこの一貫してフェイクが織り交ぜられて作られてる物語の最後があの精神病棟でカウンセリングを受けているシーンである。

 

 

警察に連行されそうになっているところをジョーカー信者の暴徒に助けられるシーンから一転して、市長によって廃止されたはずの社会福祉を受けながら『面白いジョークを思いついた、君に言っても理解できないよ(ここ超カッコいい)』というセリフで物語が締められる、一気に視聴者を突き放してこの映画は終わる。

そうすることで視聴者は「この物語は全てジョーカーが考えたジョークだったのか?どこからどこまでが本当でどこまでがフェイクなんだ?」と考えさせられる。

それまでに全くフェイクがなければなんだこのオチで終わりそうなところを織り交ぜられたフェイクによって物語全体を不透明にすることで、見る側にこの物語の本質を考えさせるように作られている。

(この映画では)ジョークという単語から名付けられた、ジョーカーというキャラクターに合わせて構成されているこの物語はまさに「ジョーク」のようなものなのかもしれない。

これが言いたかったがためにここまで長ったらしく書き進めた。まあまあ疲れた。

 

 

まあこんなん書いておいていうのもアレなんだけど物語解釈の上で全部虚構なんじゃないかっていう考え方はそれ言っちゃったら読解が進まないからタブーなわけで、もっと頭いいやつがみたらもっと面白い読み方が見つかりそうなもんだし底辺文系が一回見ただけの解釈じゃこの程度が限界だった。こんなんでも底辺大学の優しい教授なら単位くれると思う。

 

 

見る側に解釈をぶん投げるタイプの話は名作に感じやすいってどこかで聞いたことがあるしこの映画ももしかしたらその類かもしれないけど

、少なくとも俺はレイトショー代1300円払って後悔する映画ではなかったなと思う。池田エライザと女王蜂のために貞子に1900円払ったのがアホらしくなるくらいには面白かった。

 

最初の話に戻ると、俺が理屈っぽいオタクだからこの映画面白かったのかもしれない。だとしたら世の中は思ったより理屈っぽいオタクが多いってことだ。ただ自分がオタクだからってジョーカーマジサイコパスwみたいな感想言ってる陽キャのことをバカにするのはやめてあげてほしい、物語の解釈は人それぞれなので。

まあこれ見てその感想出るのは脳みそ死んでるだろと思わないでもないから言いたいことはわかる。

 

 

この映画見た後にダークナイトのジョーカー見たら別人すぎて目ん玉飛び出たね、まあなんかジョーカーになった理由ってwiki読んだ感じ今までは薬品の液体の中に落ちたからってことになってたらしいし今回のジョーカーが特殊なんだろうな多分。そしてスーサイドスクワッドのジョーカーカッコ良すぎな、そらハーレイも惚れますわな。

 

 

なんか書き忘れた気がするけど思い出せないからそろそろ終わります。

次は何見ようかな

itは映画館で見たいな

ハーレイのスピンオフも楽しみ