monkeyのブログ

ゴミ箱

コロナワクチンを打ちに行った話

ワクチンの接種表が届いた俺は反ワクチンでもコロナ陰謀論者でもなかったため、昨今の感染者の増加も考え打ちに行っておくことにした

 

しかし住民票と違う地に住んでいる人間は公民館などの集団接種は受けられず、個別で対応している病院に行かなければならないらしく(数も少ない)、少々のわずらわしさを感じていた

 

そんな折Twitter自衛隊の集団接種をしてきたという人のツイートを目にした、これなら住居地外居住者でも浮かずに接種が受けられると思い予約するに至った

 

予約倍率は高かったがそこを通ると接種自体はすぐ受けられるようだったため、最速の日程で予約をした

接種地は東京の大手町、その地についてなんの知識もなかった俺は1回目の接種だし帰りにラーメンでも食って帰ろかなwくらいに思っていた

 

だったのだが。

 

接種日当日、最寄駅に着いた俺の眼前に広がっていた景色は想像を遥かに超えた高層ビル街だった

 

新宿や秋葉原なら何度か訪れたことがあったため、栄えていてもそのくらいの景観を想像していたのだが、実際にそこに見えたのは生きているうちには全く関わりがないであろう大企業の高層タワー

駅を出て少し歩いただけで既に街の雰囲気に圧倒されていた

 

見上げるのに首が痛くなるような高さの綺麗で荘厳な雰囲気が漂うビル街に地元では見たことのないような大きな道路、皇居のすぐ近くにある駅として申し分ない街であるように思えた

 

接種会場に向かうまでの道のりですれ違う人々も、これらいずれかのビルで普段は働いているのかと思うと自分がなにかとても矮小な存在なのではないかと思わされた

人間的にしょうもない存在であることは言い逃れのできない事実ではあるし、それを自覚して割り切れていると自分自身では思っていたのだが、人生で初めて言い逃れのできない劣等感のようなものを感じざるを得なかった

それだけ今までの人生が恵まれたものだったと言われればそれまでの話なのだが

 

そのような街中を歩きながらふと思いたったことがあった

その時もいつも通り音楽を聴きながら歩いていたのだが、そのような不慣れな環境に置かれた際にいつも聴いている聴き馴染みのある音楽は心の助けになるのではないか、実際に自分の感じた範囲では救われていたように思えた

 

だからといって音楽が人々に勇気を与える高尚なものだ、というような結論に至るには早計だろう

別に俺は音楽から勇気を貰ったわけではないし、特別前向きな気持ちになったわけではなかった

 

たしかに音楽から勇気を貰える人もいるかもしれない、しかし音楽には後ろ向きな考えを肯定して和らげる力もあるように感じた

 

つまり音楽とは受け取り手が意味を構築するものであって、世の中に生まれた時点で作者の思いなどあまり関係がなく、受け取り手のエゴによっていいように使われ、意味を持たされるものなのではないか

そしてそれは悪いことではなく、それこそどんな人間にも寄り添える力をもち、どんな人間の助けにもなり得る、それこそが音楽の力と呼ばれるものなのだろう

 

 

ワクチンの接種自体は非常にシステム化されていてすぐ終わった、次回受けるのは一か月後である

その時も俺は音楽を聴きながら会場へ向かうだろう、自分自身の劣等感を音楽で慰めながら